名建築が生まれる背景には、その時代が大いに関係します。初代帝国ホテルを皮切りに、丸の内エリアの建造物を歴史的に紐解きます。
①三菱一号館美術館
日本建築界の礎を築いた、ジョサイア・コンドルの名作
初代帝国ホテルが誕生したのは1890年。明治政府は欧化政策を進める中、日本を誇る宿泊施設として、鹿鳴館の隣に初代帝国ホテルは建設されました。日本人建築家、渡辺譲によって設計されたネオ・ルネッサンス様式の初代帝国ホテルは、西洋的でありながら、日本邸宅風の配置を取り入れるなどの工夫がなされていました。
渡辺譲をはじめ、東京駅を設計した辰野金吾ら、創世記の日本人建築家の育成にあたったのが、“お雇い外国人”として来日した英国人建築家ジョサイア・コンドルです。日本の建築界の父として、明治以降の日本建築界の礎を築きました。そのジョサイア・コンドルが1894年に設計したのが三菱一号館です。
三菱が東京・丸の内に建設した初めての洋風事務所建築で、全館に19世紀後半の英国で流行したクイーン・アン様式が用いられています。老朽化のため1968年に解体されましたが、コンドルの原設計に則って復元がされ、現在は三菱一号館美術館として同地に蘇りました。
URL:三菱一号館美術館
アクセス:東京都千代田区丸の内2-6-2 JR東京駅 徒歩5分(丸の内南口)、JR有楽町駅 徒歩6分(国際フォーラム口)など
②皇居
帝国ホテルの正面に位置する「The Imperial Palace」
帝国ホテルのある丸の内エリア周辺の歴史をさらに遡ってみましょう。帝国ホテルから日比谷公園を挟んで向かい側に皇居があります。現在の皇居がある場所は元々、長禄元年(1457年)に太田道灌が築城した、江戸城の前身となる城がありました。その後、天正18年(1950年)に豊臣秀吉の命で江戸に入った徳川家康が、将軍家の居住としてふさわしい城とすべく整備が始まり、3代・家光の時代に一応の完成を迎えました。
時は過ぎて大政奉還が実現、徳川家は政権を返上すると、江戸城は明治政府に明け渡しとなりました。名前を東京城(とうけいじょう)と変え、その翌年には京都から天皇が移りました。帝国ホテルが建っているのは、大名屋敷(白河藩上屋敷)の跡地です。話は変わりますが、ライト館の北客室等の西端にある迎賓室への入り口には「天皇の入口」と記されてあったという話も。
皇居は東京の真ん中に位置しながらも自然豊かな場所として、散歩やジョギングコースとしても親しまれています。1周5キロほどで、歩道に信号機もない為、連日皇居ランナーで賑わいます。その他にも観光客に人気があるのが、皇居前広場からかかる橋のひとつ「二重橋」です。通常時には立ち入りが禁止されていますが、天皇誕生日と正月の一般参賀の時には、一般に開放されます。
URL:宮内庁
住所:東京都千代田区千代田1−1
③江戸東京博物館
歴史の流れから、日本の魅力を再発見する
ライトは、世界的な建築家の顔以外にも、熱心な浮世絵収集家であるなど、日本文化に強い関心を持っていたことで知られています。世界に流行したジャポニズムの魅力とは何なのか?ライトはそこから何を感じたのか?近代以前の歴史に目を向けることで、深く日本の文化を考えてみるのも面白いかもしれません。
江戸東京博物館は、「江戸東京の歴史と文化を振り返り、未来の都市と生活を考える場」として平成5年(1993年)に開館しました。常設展では、江戸の生活から、文明開化していく日本の歴史を一連の流れで見ていくことが出来ます。
5階フロアは明治以降、文明開化の歴史を展示しています。海外の文化を取り入れながら、日本独自の文化と混ざり合っていった歴史を理解することが出来ます。江戸の城下町の大模型から、ジョサイア・コンドル設計の鹿鳴館の模型まで、見ているだけでも飽きない見ごたえある常設展です。
URL:江戸東京博物館
住所:東京都墨田区横網1-4-1 JR総武線 両国駅 徒歩3分(西口)など