―お二人ともライト館が取り壊される前に帝国ホテルに入社され、それぞれライト館でご勤務された経験をお持ちだと伺いました。振り返って当時の帝国ホテル・ライト館というのはどんな印象でしたか?
石原:ホテルというより、博物館のような印象でした。彫刻された建物のイメージが強く、ホテルという印象は未だにありませんね。
小池:建物というより、御客様がいい人ばかりだったという印象が強いですね…(笑)。ただ当時、ライト館から東の新館に移動する時、古い所から新しい所に行くという気持ちの変化があったことをよく覚えています。この廊下を渡るだけなのに、こんなに違うのだなというギャップを感じました。
―お二人は、明治村に移築再建された帝国ホテル中央玄関に行かれたことはありますか?
石原:一度だけあります。
小池:私は三度。働いていた頃を思い出して懐かしいと感じました。当時ロビーはよく行っていましたから。御客様のお使いが多かったので、チェックアウトの会計を頼まれるとフロントまで支払いに行っておりました。
―今日は、昭和初期のライト館の姿を再現したVRを見ながら、当時のライト館の様子やどんなお仕事をされていたのかについて、お伺いさせてください。まずここは日比谷公園側、ライト館の正面玄関です。
石原:そうですね。正面玄関には車寄せがありますから、一般の御客様はこちらにタクシー等の車でいらっしゃっていました。常連客の方は、建物の横(北側)から入る事が多かったです。その方がスムーズに館内へ入ってこられましたから。それから、この正面の池は、火災の時の使う事を考えた貯水池だと聞いたことがあります。
―従業員の方はどこから出入りしていたのですか?
小池:ライト館の奥にあった建物の方からですね。JRの地下通路からそのまま入ってこられるようになっていました。今の出入り口と全く一緒、その点は建物が変わっても50年間変わっていないんです。当時、ライト館の裏には、第一新館と第二新館と建物が2つございました。通路側の方は第一新館、そこにアパートがあり長期滞在の御客様も多くいらっしゃいました。
石原:第一新館と第二新館の位置にあるのが、今の帝國ホテルタワーですね。当時から従業員はあくまで裏側を通るのが原則、表からの出入りはせず、通用口を使用しています。
―正面玄関はどのような様子でしたか?ライトの設計図面や解体時の実測図面には描かれていないのですが、回転ドアがついていたそうですね。
小池:正面玄関には回転ドアがありました。フロントにはよく御客様の用事で伺っていましたので、よく覚えています。回転ドアを抜けると、左手にフロント、そして売店が右奥(階段の上)にありました。ちょっと余談になりますけれど、回転ドアを抜けてすぐの階段では、長嶋茂雄さんが婚約された時に明子夫人と一緒に通られるお姿を見かけたんです。ちょうどフロントで仕事をしている時でしたので、「あ〜見られたぁ」と嬉しかったです(笑)。
―ロビーの印象は如何でしたか?色んな資料を見る中で、天井がキラキラしていたという体験談を書いていた方もおられましたが、実際そうだったのでしょうか?
小池:特に天井がキラキラしていた記憶はないのですが、照明が美しかったという印象はあります。光と影の印象が強かった。
石原:外からではさほど感じなかったけれど、建物の中に入ると光と影が極端に印象づけられましたね。ギャップをすごく感じました。ロビーにはソファが置いてありましたけれど、外国人用に深くゆったりと作られていたものですから、掃除に行くとポケットから落ちた色んなものを見つけました。ダンヒルのライターとか現金とか…、もちろん届けないといけませんが(笑)。