STORY

つる子さんの宿泊記

RESEARCH2018.10.11

『主婦の友』は1917年(大正6年)に創刊された主婦の友社発行の月刊誌です。その1922年(大正11年)9月号に帝国ホテル・ライト館に関する興味深い記事が掲載されていました。
「新築の帝國ホテルに泊る記」という題名で、ライターの「つる子さん」が一般客あるいは主婦の目線で、ライト館に宿泊した際の様子や感じた事を、実に生々しく軽妙な語り口で記しています。今回は、つる子さんの宿泊記をガイドに、開業1年前のライト館を巡ってみます。

寂しい廃墟の姿!?

つる子さんによる「新築の帝國ホテルに泊る記」は6ページにわたって掲載されています。冒頭の書き出しでは、これまで貴族的な態度だった帝国ホテルが、新館(ライト館)落成と共に平民化するらしいので社命を帯びて見聞してみよう、という意気込みが記されています。
路面電車を日比谷の交差点で降り、三田方面へ少し歩くと、角地にライト館が建っています。そこでつる子さんは、滑らかに輝く美しい洋館でもなく、高層の建物でもない「一種特異な建物」と出会います。

玄関前の廣庭(ひろにわ)を囲んで両翼をなしたその低い東洋風の屋根の形と、緑青の色、太く確りと立てられた黄土色の煉瓦の柱、遠く望み見た眼には、印度(いんど)か緬甸(びるま)あたりの寺院を思はせ、ラインの河辺に取り残された寂しい廃墟の姿を印象させます。
(1922年 主婦の友社『主婦之友 九月號』176Pより引用)

つる子さんが目にしたのは、まだ開業1年前の新築の建物です。それにもかかわらず、寂しい廃墟を連想させるというのは驚きの感想です。しかし同時に彼女は、人の目を惹く絢爛さは無いけれど、地から生え出た大木のような自然の偉大を思わせる雄大剛健さが潜んでいるとも述べています。

ライト館正面玄関のVR再現

非凡な鬼才と技術を持ったアメリカ人建築家ライトは、生涯を通じて「有機的建築」を提唱し、実践してきました。自然にならった有機的な造形、敷地や環境と一体になったデザインによって自然と人間との調和はかろうとする思想です。つる子さんは、大谷石やスダレ煉瓦などの質感豊かな素材や建築形態によって、ライト館にこの有機的建築を感じたのでしょう。

世界が一変したような客室

つる子さんがライト館の玄関に到着したのは、徐々に暗くなってきた夕暮れ時です。ボーイに導かれてロビーの隅に向かい、部屋が用意されるのを待ちます。案内されたのは二階の部屋。吹き抜けのある重厚なロビーから二階へ上がり、暗い廊下を幾度も曲がって30号室へ入ると、つる子さんは世界が一変したような明るさと軽さを感じます。
ベッドやイス、カーテンは一様なローズ色で、机やドアはナチュラルな木の色、天井と壁は明るめの緑がかった茶色で塗られた内装だったようです。

それは本当に人の心を伸び伸びと愉快にする部屋でした。(中略)最もよく考へてあるのは電燈で、私はこの室を見渡したところ電燈らしいものは見当たりませんから、燈はと訊くと、ボーイは押入に取附けてあるボタンを押しました。同時に部屋いつぱいに軟かい光が照り出されたものの、天井は依然として元のままで、何処からも電球らしいものは現れません。しかしそれはよく注意して見ると、机の傍に立ててある高い脚のついた花台風のなかから、電光が射出しているのでありました。
(1922年 主婦の友社『主婦之友 九月號』177Pより引用)

つる子さんが随分と感心しているのは間接照明です。今ではさほど珍しくはありませんが、照明の光を間接的に明るい内装に反射させ、部屋中を軟かい光で照らすという間接照明は、当時の日本では珍しかったのでしょう。
また、日本風の宿屋では女中や番頭が忙しく出入りし、隣室の客にも気を使わないといけないけれど、ライト館では内から鍵がかけられると彼女は喜んでいます。他にも、蛇口をひねればお湯と水が自由に出せること、卓上電話や扇風機があることも、ホテルならではと特筆しています。宿泊者が不便なく過ごせるようにと、ライト館では西洋式も取り入れながら、当時最新のサービスが用意されていた様子がわかります。

オール電化のハイテク設備

最新式が取り入れられたのは客室だけではありませんでした。ロビーの四隅にある象徴的な柱の中には電燈がひかれており、柱の透かしを通して軟かい明かりが漏れる仕組みになっています。これは愛知県犬山にある明治村を訪ねても想像できますが、この柱には通気管もひいてあり、冬はここから暖かい空気が送り出されるようになっていたそうです。

ロビーのVR再現。四隅の柱から明かりが漏れている

つる子さんはホテルの設備や組織についてさらに詳しく知るべく、金谷支配人を訪ねました。そして金谷支配人から当時最新鋭の「オール電化」の特長を伺います。

このホテルの最も誇りとする特長は、電気の応用であります。煙草用のマッチの他、ここには火の気はみぢんもありません。二千五百人までの賄のできる台所を初めとして、二百五十の客室に、絶えず送られる湯も水も、温気も冷気も燈火も、すべて電気を利用してゐるのであります。文明を競ふ欧州各国にすら、かくまで電気化したホテルはないので、この点はわがホテルの世界に誇り得るところだと自信します。
(1922年 主婦の友社『主婦之友 九月號』178Pより引用)

ライトが設計した神戸の旧山邑邸もオール電化住宅の先駆けと言われています。設備の面でも、日本の新しい時代にふわしい建築の実現にこだわったライトの姿勢を感じます。
次につる子さんは、「お台所拝見」の為に地下室へ下りて行きます。地下室は全部コンクリートで固められ、強い電流を各所に送るための太い銅線が蛇のようにうねっており工場の様相です。地下室の真上には、半地下室の炊事場があり、食堂とつながっています。ここで、つる子さんは、数百人の食事を提供する場所にしては整然とした台所だと感じながら、あるものを発見します。

馬鈴薯を土のついたまま器械の中へ打ちあけると、見るうちに綺麗に皮がむけてころころと出て来ます。二百五十個の玉子が三四十分で泡立ちます。挽肉でも擦身でも、少しも人手はまちません。汚れた皿は自然に洗はれて水気まで切られ、ナイフやホークは磨かれて美しく光ります。そのすべての動力は、地下室から送られる蒸気と電熱の力で、人間の力にまつものは、ただ調理の加減一つにあるのです。(中略)科学の力もまた驚くべきものではありませんか。
(1922年 主婦の友社『主婦之友 九月號』179Pより引用)

ダイニングの夜

19時半になり、つる子さんは食堂へ向かいます。ロビーと食堂を区切る緑のカーテンを開けると、物慣れたボーイがすぐに食卓に彼女を案内しました。食事の後にダンスが開催されるため、部屋の中央は踊り場として広くスペースが空いており、両側に大小の食卓が純白のクロスで飾られて並んでいました。

ここの燈火も側光を利用してあるので、室に入った瞬間は少し薄暗く感じましたが、馴れるにつれ辺りを包むおだやかな光りが、花に霞む春の夜のやうに、軟かく人の心に溶けてゆきます。
(1922年 主婦の友社『主婦之友 九月號』179Pより引用)

上の階からは奏楽が聞こえる中、一人で取材に訪れたつる子さんは、誰かに話しかけたい寂しさも感じながら、次々と運ばれる料理を快く味わいつくしました。そして食事を終えた後は、ダンスが始まるまで、中庭に面したサイドポーチで休みます。
金谷支配人に声をかけられて食堂へ引き返すと、すでにダンスパーティが始まっていました。二階から流れるメロデーに合わせ、踊り手が大小の輪を作っていました。疲れては休み、また踊り始めて…を繰り返すうちに踊り手の数はだんだんと増えていきます。

ダイニング(食堂)のVR再現。中央のスペースを空けてダンスホールにしていたようだ

設計者の異常な天才

部屋に戻り、朝を迎えたつる子さんは、金谷支配人の提案でホテル内を散策します。

八幡の藪のやうに突当つては曲がり、うねつては広く狭く、ぱつと明るい室に出ると、次は重々しい感じの部屋があり、建築の知識のない私の眼にも、設計者の異常な天才をしみじみと思はせられるのでありました。
(1922年 主婦の友社『主婦之友 九月號』180Pより引用)

独特な表現でライト館を散策した様子を綴っていますが、けばけばしい装飾が無く、色の研究が十分にされていることで、一体に荘重な感じがみなぎっているとも同時に述べています。カーペットの配色や模様についても、どれもライトによるデザインで飛びつきたいような立派なものだったようです。

何しろライト技師は天才的の人で、これだけの大建築のデザインをするのに、もとより大体のことはちやんと定められてゐますが、部分的に亘っては、その時々に湧いて来る思想と興味でずんずん運んでゆくのです。そして気に入らぬところがあるとすぐ打ち壊してしまひ、更に新たにデザインするといふ風で、すべてを芸術家気質で通すのですから、自然工事も予定以上に長引きます。しかし氏の緻密明晰な頭脳と創造の天地は、実に驚くばかり広大なもので、このホテルの建築はもとより、装飾も調度も一切氏のデザインによります。
(1922年 主婦の友社『主婦之友 九月號』178Pより引用)

これは、つる子さんを案内した金谷支配人の言葉です。彼女が訪れたこの日も、まだ大宴会場や劇場は工事中だったようです。しかし、一切の妥協なく細部に至るまでデザインを続けたライトは、50年後か70年後にはこうした建築が人々の趣味と生活にマッチしているだろうと語り、帝国ホテル・ライト館を創り上げました。

つる子さんがライト館を訪ねてから100年近く経った今、こうしてライト館を探訪した彼女の生の感動をシェアできるこの宿泊記の存在に、VR取材班は大変感謝いたします。

※引用文における旧字体は新字体に改めています。

協力:主婦の友社

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